子どもが何回言っても言うことを聞いてくれないときどう接すればいいですか?

そうですね。そもそも子供は言うことを聞いてくれるという前提を捨てることが大事なんじゃないかなというふうに思います。

神様がおっしゃる通り、一人一人存在があって、一人一人個性があるので、その人がその思いを大切にすること。
その結果、僕たち親の目の前に見える子供は言うことを聞いてくれないように見えるんじゃないかなというふうに思います。

だから、むしろその一人の人が、自分の思いを表現できるようになったことを喜んで接すればいいんじゃないかなと思います。
子どもが「ありがとう」や「ごめんなさい」が言えていないのですが、どう教えればいいでしょうか?

子供たちは私たちの親の姿を見て、その姿を真似することが多いです。なので、私たちが親がありがとうやごめんねを普段からまず使うこと、これが大事なんじゃないかなというふうに思います。

牧師先生も、「平素ちゃんとやりなさい」とおっしゃいます。普段の親の姿を通して学ぶなかで、子ども自身が誰に対しても言えるようになっていくのではないでしょうか。
瞬間よくやるからといって永遠さが左右されることはない。平素ちゃんとやりなさい。
お菓子を食べると言うことを聞くのでついついあげちゃいます。。甘やかしちゃっていますかね。。

お菓子は食べすぎは良くないと言いますけれども、
言うことを聞いて欲しくて、お菓子をあげること、それだけで甘やかしているというふうには言わないんじゃないかなと、私は思います。

ただ、子供が、お菓子をもらった時だけ言うことを聞けばよいというふうに、
これ誤学習という言葉を使ったりしますが、そういった間違った認識をもってしまうこともある。

お菓子をあげるときだけ、食べるときだけ言うことを聞くという不思議な関係性じゃなくて、
一対一、お互いを尊敬し合う関係性を、信頼関係が築けている状態を家庭では作れるといいんじゃないかなと思います。
子どもが悪いことをしたとき、叱り過ぎていないか心配です。叱る時のポイントを教えてください。

叱ることはもちろんありますよね。
まずは何を伝えたいのかということを自分の中にしっかりと持っておくことが大切だと思います。

何かの事象を見て、聞いて、受けて、叱るという行為につながっていると思うんですけど、
叱っている側が何を叱りたいのか、何を伝えたいのか、ということを持っていないと感情的になってしまって、感情しか伝わらない。

つまり子供から見ると、お家の人、お母さん、お父さんが怒っているな。
というそのシチュエーションというんですかね、その姿しか伝わりません。
なので何を伝えたいのかということをしっかり持っておくことが大事かなと思います。

子どもに伝える内容は、事細かに、あーしなさい、こーしなさいと言うのではなく、
「これ以上はだめだ」など越えてはいけないラインを伝えることがよいです。
子どもたちに教えるときは自由にさせておいて、線を越えていくことだけ話をすべきだ
と牧師先生は、おっしゃっています。

そしてもう一つは、やっぱり子どもが何をしようとしたのか、なぜそうしたのかということをちゃんと把握すること、聞くことがとても大切かなというふうに思います。
そうじゃないとすれ違って、いつまでたっても平行線のまま、その子どもの行動と私たち親が叱りたい、伝えたいことが交わるポイントが生まれないままに話が進んでしまうので、
なので子どもの話をしっかり聞くことも大切かなと思います。
子ども同士のケンカで相手をたたいてしまいました。どのように声をかければよいでしょうか?

1、ちょっと様子を見て、展開がどうなるかみてみる。(気が付かれないように)
2、あ、これは親が入る(仲介する)方が良いなと思ったら、「どうしたの〜?」とさらーっと声をかけて、両方に何があったかを聞く。(両方に、がポイントです!)
3、2人とも大切な存在ということを伝えつつ、どのように仲介したら良いか考える
4、2人の意見を聞いた上で、たたく以外に自分の想いを伝える手段がないか相談する。必要なら伝える。

話すときには、説き伏せたり、大きな声を出すのではなく、接することを意識してみてくださいね(※命の危険がある場合は、大きな声で静止しないといけないですけどね!)

あともう一つ。
また叩くようなことが起こったとしても、落ち着いて話を聞こう。と親自身も自分自身に言い聞かせる。一度伝えてどうにかなるものではないので、その心構えも大切です。




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